2014-03-14 第186回国会 参議院 予算委員会 第13号
それは大政翼賛政治ではありませんか。私は、責任野党とはやっぱり政権を目指して与党を倒そうという気概を持って闘う政党ではないでしょうか。私も市長時代、逃げずに議会とちょうちょうはっしやってまいりました。しかし、それが市民のため、民主主義のためであり、私も成長させていただいたと思い、今は感謝をしているところであります。 それでは、質問の方に入らせていただきます。
それは大政翼賛政治ではありませんか。私は、責任野党とはやっぱり政権を目指して与党を倒そうという気概を持って闘う政党ではないでしょうか。私も市長時代、逃げずに議会とちょうちょうはっしやってまいりました。しかし、それが市民のため、民主主義のためであり、私も成長させていただいたと思い、今は感謝をしているところであります。 それでは、質問の方に入らせていただきます。
翼賛政治になるんですよ。これは、多分、私は戦争を辛うじて知っている世代ですよ。空襲も受けました。そういう世代から見ると、物心付いたときは確かに暗かった。あの軍部政権がどんどん進めていったというのは、議会がその機能を失ったからですよ。翼賛政治になったんです。
五月二十日には院内会派として翼賛政治会が結成されまして、八名の無所属を除く全員が参加しております。 本会議の運営につきましては、議長が各派交渉会を招集して協議をしておりましたが、一会派のみとなったため、議長は会派の協議員と協議するため、議院協議会というのを設けまして、各派交渉会に準じて議事その他の事項について協議しております。
私の祖父鳩山一郎は、大政翼賛政治に対する、まさに大政翼賛政治に対する対抗軸として、友愛の政治を唱えてきたのであります。小泉総理、刺客を放つなどといった恫喝で政治を治めてはなりません。政治は愛をもって治めるべきものであります。異なる意見を封じ込めることは自由主義の死につながるものであります。自由主義の真髄である人格の尊厳に目覚め、友愛精神を基調にすることによって初めて民主政治が成り立つのであります。
このような日本国憲法の国民主権の原理、議会制民主主義の制度は、歴史的に見ると、明治憲法下で、天皇が統治権を総攬する翼賛政治体制のもとで国民を侵略戦争に駆り立てていった歴史への反省によるものであること、同時に、こうした国民主権の原理は、基本的人権を保障するために国家が存在し、憲法によって国家権力を制限するという近代立憲主義の思想を取り込んだものであります。
野党のいない国会は、大政翼賛政治そのものじゃありませんか。あなたには、野党のいないその空席の後ろに国民の姿が見えなかったのでしょうか。 自自公は、私たち民主党が国会審議を拒否したと非難しています。しかし、本当に審議を拒否したのはどちらか。あなた方が私たちに呼びかけたのは、形だけの審議にすぎないではありませんか。あなた方の民主主義は、まやかしの民主主義じゃありませんか。
最近は、この国会の状況を、第二次大戦中の翼賛政治体制になぞらえて心配する人々がおられます。それは誇張された言い方なのでしょうか。 昭和十七年に、東条内閣のもとに成立した翼賛体制は、衆議院議員四百六十六人中の三百八十一人で構成されておりました。全体の八二%が翼賛議員だったのです。
そういう点で、枠を越えてボーダレスでこのことに向かうというのも一つでありますが、あえて言えば、翼賛政治にならぬだろうか、こういう点もあろうかと思います。さっき日本列島の話をさせていただきました。地理、条件、気象の違うこの列島の中においてどのようにやるか。
翼賛政治というものも経験しているわけです。私もわずか十五歳で軍籍に身を置いた経験を持っておりますので、ああいう気違いじみた動き、物の考え方にみんながわっと行ってしまう、その中で全く何にもわからない子供たち、自分の判断力もない人たちが巻き込まれていく、巻き込まれた結果自分の命を失っていくという悲惨な状態を決して繰り返してはいけないと思っております。
私ども日本共産党は、小選挙区制、翼賛政治化、憲法改悪などの一切の反民主主義の策動に対して、日本の民主主義、憲法の平和、民主の原則を守る決意を持つすべての国民とともに断固として闘う決意を表明させていただいて、私の質問を終わります。(拍手) 〔国務大臣細川護熙君登壇、拍手〕
かつて、あの十五年戦争の中で、国会のこの演壇は、翼賛政治のもとで歴代総理によって「大東亜共栄圏」の絶叫のもとに、「お国のために血を流せ」を強要し、国民を次から次へと戦場に駆り立てる悲惨な歴史の演壇となったのであります。その結果、中国、東南アジア、太平洋地域など、異郷の地で亡くなった軍人軍属、従軍看護婦は、二百万人をはるかに超えたのであります。
しかも、本音と建前の使い分けは許されないなどと不当な言いがかりをつけ、野党に自民党政治の全体に賛成を迫るものであり、かかる翼賛政治の強要は断じて許されるものではありません。政府・自民党に強く反省を求めるものであります。
これは簡潔に言えば日独伊軍事同盟と翼賛政治、これが戦争への道であった。これを我々は教訓とすべきである。 さらにもう一つは、ことしは広島、長崎に原爆を落とされてからちょうど四十年目に当たる。ですから、核戦争はもう嫌だ、核廃絶の問題、この問題は世界人類の緊急かつ重要な課題であるし、日本国民にとっても同じであります。この問題であります。この核廃絶の課題。 もう一つは、民族自決権の問題であります。
先生のこの姿こそ正義に向かって雄だけぶ熱血の政治家をほうふつとさせるエピソードであり、翼賛政治下にあって議会の権威を示した数少ない特例として、憲政史上永久に残ることでありましょう。(拍手) このように、先生の戦前、戦中の活動は、軍閥ファシズムのたび重なる威嚇に遭いながらも、みずからの政治信念を貫くため、政治家の良心を糧とし、正義を友とした壮烈な闘いでもありました。
新聞論調にも非常に明確に見られますように、まさに国会審議そのものの空洞化、翼賛政治に至るおそれということを指摘しておる点も、私は当然であると思うのであります。 私は、もう一点、本法案が成立しなければ国鉄職員に対するボーナスの支払い停止を考慮せよ、こういう言動をした一部勢力に対して強く抗議の意思を表明したいと思うのであります。
新聞も、この異常な事態について、翼賛政治になりかねないとさえ言っているではありませんか。わが党は、このような五党合意を糾弾するとともに、この合意に基づく修正成立に断固として反対するものであります。(拍手) さて、私がこの改正案に反対する第一の理由は、本来、中小企業労働者には何の責任もない保険財政の赤字を労働者の犠牲によって解決しようとする政府の姿勢についてであります。
新聞の中でも、異例な事態であって前例とすべきじゃない、あるいは翼賛政治になりかねないという論調が見られるのも私は当然だろうと思うのです。私は、理事会などでも主張しておりますように、今国会にこんな大事な法案を議了するということは認められないということをまず立場を明確にした上で、以下質問をしておきたいと思うのであります。
アメリカにいらっしゃると、今度は帰ってきて江公民体制という体制の中で、松前さんというかつての翼賛政治会の総務部長をやられた人が座長になられる。そして同じく日ソ協会の会長をしておられる方が座長になられて、そのときに河野洋平氏以下六名の方々が外へ出られていきました。この工作書の中にも「気がつかれないように民主連合政権にずっと移行していくべきである。」ということを言っております。
われわれ議員でも、衆議院議員でも同じだと思いますけれども、翼賛政治のときのように、あんな形で一体議員になった者がほんとうに国の大問題にぶつかって正しい処理ができたかというと、これはもうあの翼賛政治のときに端的にあらわれていると思うんですよ。それは票で集まるんだから、必ずしもりっぱな人物を選ぶばかりじゃないということもあるかもしれないし、あるいは片寄る場合もあるかもしれない。
だから、藤枝副議長が政府・与党のかいらいとなって、今期末までに残された重要法案である大学の運営に関する臨時措置法案をしゃにむに強行せんとするやり方は、まさに民主政治が封殺され、言論の統制された翼賛政治における内務官僚的発想を思い起こさせるものがあり、文教委員会の強行採決を認め、本会議において強行ぜんとする藤枝君の行為は、断じて許すことができないと思うのであります。
また、戦時中の翼賛政治では、野党の動議もあるいは牛歩戦術もなかったことは事実であります。そのかわり、国会は軍部の思うままに支配をされまして、歴史の歯車に大きく狂いを生じたことは、御承知のとおりであります。近くは安保条約をめぐり、わが党の委員長浅沼氏が同じく右翼の手で殺されました。野党の抵抗の強いとき、そのあとで必ず国の平和と安全がゆがめられるような状態であります。